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2013.06.18 なんとなく
だれも見ていないBlogに書くのが好きな時もある。
無心に、一心に
Facebookでもなく、twitterでもなく
ほんとうにだれも見ていなくてもいい。
未来の自分が読めばいい。
ただそれだけのために、Blogを書くことがある。

読者は自分、でも今の自分ではない。未来の自分。
そのために、書き続ける。
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12月27日の夢。
文中での固有名詞、各宗教名は文章化時に補足したもので、実在すれども関連はまったくありません。



僕はとある私立高校に通うふつうの高校生。クラスでも特に目立つほうではないし、勉強もスポーツもまあ、そこそこだ。
でも、普通の高校生とちょっとちがうのは、この学校を代表するある役職についていることだ。
クラスメートの白鳥は学年全体でも評判の美人だが、彼女も僕と同じくある役職についている。

僕の通うこの高校は、表向きはどこにでもある進学校のひとつだ。だが、とくに目立って変わっているのは、その生徒が日本中いたるところから、また、全世界から実に多くの生徒を募集していることだ。地元では国際色豊かな高校として、先端的なイメージで好意的に受け止められているが、その本当の目的を知るものは、当の生徒たち以外には学校関係者以外ほとんどしられていない。その目的とは、現在世界に存在するあらゆる宗教を信仰する人材を集めて、最強の呪術集団を育成することだ。

困ったことに、この裏の目的は公にはされておらず、生徒の募集も各宗教団体や会派を通じて極内々に行われる。そのため、この目的で応募してくる生徒数は極少数だ。
そのため、この学校は一般募集もしている。その裏の目的を知らない一般の生徒も表向きのインターナショナルハイスクールのような希望をもって受験をするので、クラスの中では普通の高校生活を送る一般生徒と、各宗教を代表して裏の目的を達成しようとしている僕らのような生徒が混ざっていることになる。そして、教室の80パーセント以上は普通の受験をしてきた生徒たちなのだ。

僕たちは一般生徒たちをよく知っているが、彼らは僕らの目的は知らない。
僕らの活動は、表向きはある委員会活動というものでカモフラージュされているのだ。
こうやって書くと僕らはなにやらすごいエリートのように聞こえるが、実は僕も数ヶ月前までは彼らと同じ一般生徒だったのだ。あのことが起こるまでは。。。

僕は一応日本人として神道と日本仏教の代表ということになる。
白鳥はキリスト教プロテスタント福音教会派―まあ、キリスト教の場合いろいろな派があってそれぞれに代表の生徒がいるので、彼女はその一員というわけだ。

教室


ある日の昼休み、僕たちの教室に駆け込んでくるやつがいた。
『大変だ!』 渡辺だった。かれは隣のクラスで、(日本人ながらに)ヒンドゥー教代表だ。
『5時限目に緊急の会合をひらくって。通達が来た』
『あら、5時限目はだめよ。』白鳥が言った。
『あたしたち、5時限目は穂場の倫理ですもの』
そう。穂場は―社会科の倫理を担当している中年の教師なのだが、彼はキリスト教カトリックなんとか派で、白鳥の所属する福音派とはとても仲が悪い―悪いというより険悪な関係といってもいいだろう。
『とにかく。5時限目にわたしたち、というか私がサボっていると穂場が知ったら、とんでもないことになるわ』
穂場は僕が言うのもなんだがとても陰険なやつで、一般生徒でも一度サボっただけで容赦なく追加レポートを提出させるようなやつだ。それが敵対する教派の白鳥なら、彼女の今学期の単位もあやうい。
常々思うのだが、教師と生徒のこんな意の痛むような関係でも表向きは普通の態度で授業に出ていられる白鳥を、ぼくは本当にタフなやつだと感心してしまう。

『とりあえず、ぼくだけ会合に出よう』
『あら、あなた一人で大丈夫?』
白鳥はなにかにつけてぼくをまだ一人前として扱ってくれない。
まあ、それも仕方がない。ほんの数ヶ月前、そう、この学校に一般生徒として転校してきた直後なぞ、僕は般若心経のたった262文字を書くこともできなかったのだ。
『まだ般若心経を根にもっているのか?あれは―中国仏教の笹岡にまかせた。ぼくの場合日本神道が本分なんでね。』
といっても祝詞も満足ではないが・・・

『まあいい、とにかくどっちかでも出てくれ』教室の入り口でイラついている渡辺が言った。
『この学校にとって大変なことがおこるらしい。』
『じゃあ、がんばってね』白鳥の他人行儀な態度がちょっとカチンときたが、この会合では僕はまだ下っ端だ。素直に言葉通り受け取っておこう。。。




こんなライトノベルがどっかにありそうですが、もったいないのでこの後の展開を考えてみる。

コンピューターと宗教
テクノロジーと宗教
高校生活と宗教。。。。

学校にはコンピュータールームがあるので、ここで展開するのはどうだろうか。

  たとえば、見えない敵とオンライン上で対決
  自分の宗教の経典をコーディングしていく
  各宗教の経典を元にしたものをコード化したリアルタイム演算戦
  爆裂なスピードでコードを打ち込む
    ここでヴェーダ数学の渡辺が大活躍
    神道には経典はないのでぼくは傍らで見守るだけ
  未知の相手が自分のコードにBugを作ってしまう
  こちらが相手の論理的矛盾を突いて勝利

宗教の経典は長い年月をかけて論理的な矛盾を埋めてきたものだろう
経典に論理的な矛盾があれば、それは致命的な問題で、その宗教の存在さえ怪しくなる

未知の敵は過去にこの地球上に存在していた、今はなき宗教集団としてもいいだろう。
いままで消えていった宗教も沢山あるだろうし。


えーと、コンピューター戦のあとは体を使わないと。。。体育の時間で。
宗教から発達した格闘技で戦うというのはどうだろうか

  当然、少林寺拳法
  日本でもむかし僧坊というのがあったような。。僧兵か。弁慶さんとか
  インドあたりでスプリングのように巻かれたながーいサーベルを使う格闘技があったような・・・



最後はやっぱり地下で結界をはるんでしょうかね。


こんなスジでどうでしょうか。
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